1980年代の名作漫画(アニメ)『めぞん一刻』(高橋留美子氏原作)のまとめサイトです。

深読み!『めぞん一刻』

高橋留美子とヴィヴァルディ

高橋留美子先生の作品を見ていて、作曲家で近い人がいるかなぁと考えてみました。すると、ぴったりな作曲家がいました。

イタリアのバロック音楽の鬼才ヴィヴァルディです。

ヴィヴァルディは「四季」で有名な誰でも知っている作曲家ですが、典型的なラテン系で、感情表現が上手くて、音楽の展開が劇的で早いんです。

ただこの時代の作曲家の常として、ヴィヴァルディの伝記のようなまとまった記録はありません。それに一度、忘れ去られて20世紀になって再発掘された作曲家でもあるんです。なので残された楽譜から、どんな人だったのかを想像するしかありません。もちろん曲が残っているので、楽譜や当時の時代を考えた演奏法で再現された演奏を聴けば、いろいろなことが分かりますけれど。

どんなところが似ているの

ヴィヴァルディに似ている感じがする簡単な例をあげれば「四季」の第1楽章「春」の3曲目パストラーレです。パストラーレ(羊飼いの生活を描いた田園詩)は、すごく簡単にいえば理想郷を描いたものです。

この3分程度の小さな曲で、天国から地獄まで表現していると(勝手に)思っています。エデンの園から追放されたアダムとイブの主題を取り入れているんでしょうね。

罪悪感すら表現した展開部分、そして最後の地獄に突き落とされたかのようなヴァイオリンのカデンツァですが、一気に天国に戻ってあっさり終わってしまうという、凄い展開になっています。

これは鬼才ビオンディの演奏ですけど、強いメリハリがあってよく表現していますね。最初の突き抜けるような天国(パストラル)のイメージ、最後の地獄に落とされたかのようなバイオリン、そして一気に冒頭にもどってあっという間に曲がおわってしまうという…

哀愁のあるメロディ、激しくぶつかる不協和な音たち、まさにヴィヴァルディの真骨頂です。

ヴィヴァルディは何か特殊な技術を使っているかといえば、楽典の先生に聞いても特別なものは無い様なのです。逆に楽曲を研究する人から見ると、つまらない作品のようなのです。でも実際聴いてみると非常に魅力的なんです。それが何故だか良くわかりませんが、技法の問題ではないのかも知れません。

高橋留美子先生も、漫画界に革新的な新しい技術を取り入れたとか、特別な技法を使っているという感じはしないです。どちらかというと劇画という古風な技法を使っていて、そこから磨きをかけています。

最初から素晴らしいのはストーリー展開ですけど、これも新しい技法というよりは、これまでの技法を上手く使っているところが凄いと思います。従来の技術を使っていとも簡単に楽しめるストーリーを作ってしまうんです。しかも『めぞん一刻』の第41話「誤解の方程式」では、タイトルで「誤解のモチーフ」を使うことを示しているし、実際に「誤解のモチーフ」を徹底的に使ってストーリーを作っています。でも、分かっていながらとても楽しめるんです。

これは例えば、大友克洋先生が今までになかった強烈な技法を持ち込んだのとは違いますね。

即興性とギャグの落ち

ヴィヴァルディの音楽、というかバロック音楽は演奏者が即興で自由に装飾したり、あるいは変えてしまうことまで許しています。バロック音楽の時代はもともと作曲した人が演奏するし、著作権なんて考え方は全くないですね。

楽譜にして出版するということが行われるようになった時代なんですが、演奏者はそのまま演奏するのではなくて、アドリブや装飾を加えて自分を表現していました。この時代の楽譜って、メモ書き程度のものなんです。そのまま演奏したら、物足りないし作曲家もアドリブすることを前提で書いてますね。

さらに言えば、この時代の作曲家って、最初から即興演奏していましたから、演奏しながら曲を作ったりしてたんです。

高橋留美子先生も即興の天才みたいです。噂によれば、オチを決めずにマンガを書きながら、最後に即興でオチを書いたという逸話があるくらい。

ギャグといえば、イタリアの音楽は基本的に明るいしシニカルな要素を持っています。「四季」ならソネットという詩のようなもの(詩と言うにはおこがましいレベル...)がついていますが、「秋」の第3楽章は秋の収穫祭〜狩りのシーンです。

この演奏って、ドイツのバロック演奏で有名なベルリン古楽アカデミーの演奏ですが、ドイツはコンテンポラリーダンスの国でもあるので、それを組み合わせてコミカルにソネットを再現したもので、特に「秋」が上手く行っています。収穫祭のシーンで酔っ払いながら(くるくるまわって)演奏してみたり、狩りのシーンでマシンガンを連射してみたり、小動物が狩られて死んでしまう瞬間を描いています。ギャグの要素も入っていますね。音楽もこうやって振り付けがあると理解しやすくなりますけど、単に演出のせいではなくもともとヴィヴァルディにはギャグの要素は結構入っているんですよ。

読めば読むほど面白さが増す

高橋留美子先生のストーリー展開はリズミカルで最後の最後まで追いつめて、一番最後で一気に解決、みたいな展開が多いですけど、分かっていても何度読んでも面白いのは、不思議としかいいようがないですね。

そういえば音楽の名作というのは、最初は退屈でも、何度も聴くことで面白さに気づくようになり、何度も聴きこむほど面白くなっていくものが多いと思います。ヴィヴァルディもそうです。

また特にヴィヴァルディのようなバロック音楽は、たくさん曲はあっても音楽の構成がほとんど一緒なんです。つまりワンパターンということだから、すぐに飽きてしまいそうですし、実際並の作曲家の作品はすぐに飽きてしまう曲も多いです。でもヴィヴァルディの場合はシンプルな曲であっても、とても面白いんです。むしろ、そのシンプルさに様式美を感じるくらい。

こんなシンプルな曲だって、印象的で楽しめてしまいます。(RV156)

この演奏は最初にアドリブが入っています。始まってみると、この曲だって同じ構成じゃないですか。でも、聴いていて飽きが来ないんですよ。逆に何度も聴くほどハマっていきます。

奥に潜む悲劇性

ヴィヴァルディは、長調の明るい曲も書くのですが、短調の少し影のある曲のほうが得意なようです。

なぜだろうと考えてみたんですが、ヴィヴァルディは当時栄えていたヴェネチアのピエタ孤児院という、女の子が収容されている孤児院で音楽を教えていたこともあると思います。女子の場合は、貴族にもらわれていくのですが、その時に貴族の前で、仮面をつけて楽器を演奏したそうです。彼女たちは生きていくために自分を魅力的に見せなければいけません。そういう音楽を作っていたのがヴィヴァルディなんです。

だからか、女性の魅力についても色々考えているような気がします。エキゾチックなミステリアスさの根底に悲劇性を感じるし、感情表現や情熱的な表現がとても得意なんです。その点ではもうバロック音楽を超えているんじゃないかと思えるくらいです。

この有名な「4つのバイオリンのための協奏曲RV.580」は、作品3として出版されたので現代に残っているのですが、この作品3はピエタ孤児院で書かれた曲から選んだものと言われています。

そのあたりは偶然なのか、普遍性なのか、高橋留美子作品の女性ヒロインにも似たところがありますね。高橋先生がヴィヴァルディを参考にしたとは思えませんけど、結果として似ている感じです。

アニメ化は大変そう

それにしてもリズムとか間のとり方が面白さの本質に関わっているとなると、そこがアニメーション化や実写化の一番むずかしい所でしょうね。マガジンの一話のページ数と、TVの放送時間約25分を比べると、どうしてもシナリオを書き足さないといけない訳ですが、そこが上手く行かないと間が開いてしまいます。

歌舞伎にしても、音楽にしても、昔から間のとり方が一番重要なので、アニメーターの人たちはすごく工夫していて、複数の話を取り混ぜたり、同時進行させたり、なかなか巧妙なことをやっています。『うる星やつら』よりは上手く行っていると思いますけど、原作のレベルにはさすがに及ばない感じですね。

「めぞん一刻」アニメ版
VOD:ビデオオンデマンド Amazonプライム(一話110円)

■更新日:2019/10/19

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